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🟩“自分らしい働き方”がわかってきたのに、動けなかった理由
「こういう働き方がしたい」
「これが自分らしさかもしれない」
そんな感覚を、ようやく言葉にできるようになったのに——
なぜかそこから、動けなくなってしまった。
…そんな経験、ありませんか?
私自身、自己理解のプロセスには
けっこうな時間と労力をかけてきました。
ニューコードNLPなどの学びを通じて、
自分の大切にしたい価値観や、
理想の働き方はある程度“わかっていた”つもりでした。
たとえば——
- 誰かに合わせすぎず、自分のリズムで働きたい
- 「成果」よりも、「プロセスの心地よさ」を大事にしたい
- スピードより、丁寧さと深さを優先したい
- 上に評価されるより、目の前の人にじんわり喜ばれたい
こんなふうに、ノートには
たくさんの“自分らしさ”が書かれていたんです。
それこそ、何冊も。
でも、それを
「誰かに届ける仕事の形にしよう」
と思ったとたん、手が止まった。
「わかってるけど動けない」は、ダメなんじゃなくて“次の壁”
当時の私は、“理想の働き方”は見えているのに、
なぜか一歩も踏み出せないという状態でした。
- 誰に届けるのか?
- 何として提供するのか?
- お金をいただける内容になっているのか?
そういった“現実の問い”に向き合おうとした瞬間、
なぜか、自分の中にあった言葉が、
全部頼りなく感じられてきたんです。
「これって、ただの理想論じゃないのかな」
「誰にも必要とされないかもしれない」
「会社という後ろ盾がない自分に、仕事なんて成り立つのか」
…そんな声が、心の奥から湧いてきて。
通帳を見るたびに、自由より“安定”に揺れる心
実際、起業当初は蓄えを切り崩しながらの生活でした。
預金残高が減っていくのを見ると、頭のどこかで
「やっぱり戻った方がいいのかな」
なんて声も聞こえてきたりして。
しかもわたしは会社員時代、
マーケティングの仕事をしていたんですが、
その多くは「会社という看板」や
「予算」があってこそ成立していた
という実感が強くありました。
名刺を出せば、初対面でも会ってもらえる。
広告費を使えば、成果も出やすい。
その状況から、“まっさらな個人”になったとき、
自分のスキルがどれくらい通用するのか、
正直まったく自信がなかったんです。
「動けない」の奥にあった、ほんの小さな“希望の芯”
それでも、どこかで手放せなかった感覚がありました。
「なんとなく、この方向で合っている気がする」
「この“感覚”を無視すると、何かを見失う気がする」
根拠はありませんでした。
でも、大学受験で第一志望ではなかったけれど、
結果的に選んだフランス文学の学びが、
あとから人生に大きな意味をもたらしてくれた——
フランス文学科への進学が決まった時に、
「これが自分にとって最適な道!」
そんな確信の様な感覚が湧き上がってきました。
そんな経験があったからこそ、
“理由のない直感”には従ったほうがいいと、
どこかで信じていたんだと思います。
自分の言葉は、ちゃんと届く。まずはその“確かさ”が欲しかった
だから私は、“サービス”をつくる前に、
まずは人に話してみることにしました。
「こういうことを大切にして働いていきたい」
「こういう人に、こういう関わり方ができるかもしれない」——
まだうまく整っていない言葉でしたが、
話すたびに、少しずつ整理されていったんです。
そして、あるとき言われたのが、こんな言葉。
「それって、野口さんらしいですね」
なんでもないひとことだけど、
“自分らしさ”を、他人がちゃんと受け取ってくれた
という実感が、 最初の一歩を支えてくれました。
「わかってるのに動けない」は、プロセスの一部
このパートを読んでいるあなたがもし、
「もう十分自己理解したはずなのに、
なぜか進めない」と感じているなら。
それは、まだ何かが足りないからじゃなくて、
「わかってる自分」が、ようやく
“現実に着地しようとしてる”
だけかもしれません。
私はそう信じています。
だから大丈夫。
ノートがいっぱいになっているのなら、
次は、誰かと話す番かもしれません。
言葉が届いたとき、自分の働き方が、静かに始まりだすから。
🟩理想はある。でもそれって現実的?という“自問ループ”の正体
「理想の働き方って、どうせ現実には無理なんじゃないか」
気づけば、そんなふうに思う自分がいました。
やりたいことはある。
大切にしたい価値観も見えてきた。
時間に縛られずに働きたいし、
つきあう人も選びたい。
自分のリズムで続けられる、
誠実な仕事がしたい。
そういう“理想の働き方”は、
ノートの中では形になっていたんです。
でも、
現実にそれを“仕事”として届けようとすると、
急に手が止まってしまう。
「これは、ただの理想論なのかもしれない」
ふとそんな言葉が浮かんだ瞬間、
ノートを閉じました。
そして、
ぐるぐると頭の中で自問がはじまるんです。
「現実的に考えて、これでちゃんと食べていける?」
「自分の力だけで、誰かの役に立てる?」
「こんなこと、需要あるのかな?」
声に出さないけれど、
毎日のように心の中で繰り返していた“自問ループ”。
そのたびに、
理想は少しずつ遠ざかっていくような感覚がありました。
“理想”と“現実”の間にある、もうひとつの選択肢
でも、あるときふと気づいたんです。
自分が「理想論」と切り捨てていたものの中にこそ、
本当のヒントが隠れていたのではないか?って。
というのも——
たとえば会社員時代、
上司の顔色や会社のリソースで仕事をしていたときは、
自分の提案が「論理的に正しくても、通らない」
ということがよくありました。
「成果」や「効率」だけが価値になる世界では、
“誰が言ったか”が何より重視される。
あのときの私は、
「ちゃんと評価されたい」と思っていたけれど、
どこかで「このままじゃない気がする」とも感じていた。
「現実に寄せて考え直す」ことで、大事なものが見えなくなる
理想の働き方を実現しようとする時って、
多くの人が
「もっと現実的に考えなきゃ」
と口にします。
でも実は、
“現実的に考え直そう”とした瞬間から、
本当に大事にしたかったことの輪郭が薄れていく
こともある。
私がそうでした。
“理想”を切り捨てないための問いかけ
もしあのとき、
自分の感覚を「理想論だ」と押し込めていたら、
たぶん今の働き方には辿り着けなかったと思います。
大切なのは、
「この理想が形になるとしたら、
どんなやり方があるだろう?」
と問い続けること。
現実に合わせて理想を潰すのではなく、
理想に向かって“現実の使い方”を工夫していく。
私はそこからようやく、
“自分の理想にふさわしい現実のつくり方”
を探し始めることができました。
もしかしたら今、あなたも
「これは現実的じゃない」
と自分の理想を引っ込めようとしているかもしれません。
でも、
その理想に“現実の入り口”をつくることは、
きっとできる。
小さくても、
自分にしかできない始め方があるはずです。
自分の中にある声を、
“理想論”で終わらせたくないあなたへ。
この先、どんな問いを立てていきたいですか?
🟩得意だけど心が動かない。そんな仕事の“違和感”に気づく瞬間
「できるんだけど、どうしてだろう。なんか違う。」
そんな感覚を、
ずっと見ないふりをしていた時期がありました。
たしかに、それなりにうまくやれていたんです。
会社員時代、私はマーケティングの仕事に携わっていて、
商品やサービスの魅力をどう伝えるかを考えたり、
プロモーションを組み立てたりするのが役割でした。
結果も出ていたし、クライアントにも喜んでもらえた。
でも、心のどこかがずっと
“追いついていない”感覚があったんです。
「成果は出ているのに、満たされない」という違和感
自分なりに手応えもある。
信頼されている感覚もある。
でも、ふとした瞬間に
「これって、自分が本当にやりたいことだったっけ?」
と立ち止まる。
“得意”であることと、
“好き”であることは、必ずしも一致しない。
そのことに気づいたのは、
ずいぶん後のことでした。
“違和感”は、急にはやってこない
私の場合、
それがはっきりと形になったのは、
コロナ禍をきっかけに
北海道でワーケーションをしたときでした。
それまでは東京でずっと働き詰め。
時間も場所も自由が利かず、
それが当たり前だと思っていたし、
どこかで「不満を持つのは贅沢だ」
とすら思っていたかもしれません。
でも、
新得町や根室市で自然の中に
身を置きながら仕事をしていたとき、
ふとした瞬間に気づいたんです。
「いま、自分のリズムで呼吸してる」って。
そしてそのとき、これまで無視してきた
“モヤモヤ”が、静かに浮かび上がってきました。
“やれている自分”から抜け出せなかった理由
正直、「違和感」はもっと前からあったと思います。
たとえば、上司のひとことで、
自信を持っていた提案が簡単に却下されたとき。
理由が、数字や論理じゃなくて
「過去にこういうのはうまくいかなかったから」という、
“個人の経験則”だったとき。
そのとき私は、
「それが会社という場所だ」
と自分に言い聞かせていました。
でも、心のどこかでは納得できていなかった。
「このままここにいたら、
自分の感覚が鈍っていくかもしれない」
そんな不安が、ずっと底にあった気がします。
本当に大切なものは、“好きなものに触れたとき”に浮かび上がる
長期の北海道出張から東京に戻ってきた
あるタイミングで、私は、
「あ、もうこの働き方は長く続けられないかもしれない」
と感じました。
スケジュール通りに動いて、
数字を積み上げて、周囲の期待に応える。
かつての私は、
それを“仕事ができること”だと思っていたし、
実際、それでそれなりに評価もされていました。
でも——
「仕事自体は好きなはずなのに、
なんでこんなに気が重いんだろう?」
「うまくやれてるのに、どうして納得できないんだろう?」
そう問い続けた先に見えてきたのが、
「できる」と「やりたい」は別ものなんだ、
という実感でした。
「仕事に向いてる自分」と「本音の自分」が、
静かにズレ始めていたのかもしれません。
その“わずかなズレ”を、
見なかったことにしていたのは、
たぶん私自身でした。
“違和感”は、あなたの中に眠っている本音のサイン
もし今、あなたが
- 得意なことはあるけれど、気が乗らない
- 仕事はこなせるのに、なぜか満たされない
- 周囲に評価されても、どこかうれしくない
そんな感覚を抱えているとしたら——
それは“甘え”でも“わがまま”でもなくて、
むしろ、
「自分の本音が動き出そうとしているサイン」
かもしれません。
“違和感”は、
ある日突然やってくるものじゃなく、
ずっとあなたのそばにいた感覚のはずです。
でも、気づけなかっただけで。
あなたの中の
「これは違うかも…」という小さな声は、
これからの働き方に必要な“地図”
になるかもしれません。
無視し続けるのではなく、耳を傾けること。
それが、「自分らしく働く」
の最初の一歩になるんだと思います。
🟩他人の反応で気づいた、“わたしの働き方”が誰かを動かすということ
「この働き方、どんな意味があるんだろうか」
起業初期のころ、私はよくそう思っていました。
「自分なりに頑張ってはいるけれど、
それが誰かの役に立っているのかは、
正直よくわからなかった」
そんなふうに、
自信が持てずにいた時期が、
たしかにありました。
でも、
そんな不安がふとほどけたのは、
自分の働き方に“他人の反応”が返ってきたときでした。
“ただ話しただけ”だったのに、相手の目が変わった
北海道に移住してしばらく経ったころ、
東京に出張で戻ったタイミングで、
昔の知人に会いました。
何気ない近況報告の流れで、
私は自分の今の働き方や暮らし方について、
ぽつぽつと話していました。
コロナ禍で立ち止まり、
ワーケーションを経て、
東京から離れてみて、
“誰かに評価されるため”ではなく、
“自分の感性に合った働き方”
を選ぶようになったこと——
そんな話をしていたら、
相手はしばらく黙ったあと、
こう言ったんです。
「それ…なんか、野口さんっぽいね。
ずっとそういう人だった気がする」
それを聞いたとき、
心の中にすっと風が吹いたような感覚がありました。
無理に“届けよう”としなくても、届くものがある
私は、なにかをプレゼンしたわけでも、
セールスしたわけでもありません。
ただ、
「こういう選択をした」と話しただけ。
でも、
“わたしの生き方”に、
誰かが勝手に共鳴してくれる瞬間があるんだと、
そのとき実感しました。
そしてそれは、言葉やスキルだけじゃなく、
“自分がどう在っているか”
という空気ごと伝わるものなんだとも。
自分のための選択が、誰かの“選択肢”になることがある
その知人は、こんなふうにも言ってくれました。
「なんか、
自分もそういうこと考えたことがよくあるけど、
考えるだけで終わってた。
でも、実際に身近でやってる人がいたんだね!
自分も色々考えちゃうな」
自分では
特別なことをしているつもりはなかったのですが、
“自分の感覚に従って選んだ働き方”が、
他の誰かにとっての「可能性」に変わる。
そのとき、私は初めて気づいたんです。
「あ、こんなふうに“わたしらしく働く”って、
届けることになるんだ」
「届けよう」と意気込まなくても、
自然と伝わってしまうことがある。
それだけで、誰かの視界に
“新しい選択肢”を浮かばせることもあるんだ
と知った瞬間でした。
このときは、
まだ「仕事につなげよう」なんて
考えていなかったけれど、
自分の選択”が、誰かの
「考えるきっかけ」になるだけでも
十分に意味がある。
そう思えたことで、私の中の
「これでいいのかな?」という迷いも、
少しほどけていった気がします。
誰かを“変える”ことじゃなく、“照らす”ことだった
たぶん、“誰かの役に立つ”って、
何かすごいことを成し遂げることだけじゃない。
自分が大切にしていることを、丁寧に生きている。
その姿が、誰かの心に
「ちょっとだけ動いてもいいかも」と思わせること。
それが結果として、
“誰かを動かす”きっかけになるのかもしれません。
あなたの働き方も、すでに誰かの希望になっているかもしれない
もし今、
「この働き方でいいのかな」と迷っていたり、
「自分の選択って価値があるの?」
と立ち止まっていたとしたら——
それはきっと、
“誰かを変えるための何か”
を見つけようとしている証拠
なんだと思います。
でも、本当に必要なのは、
自分を生きることを、
まず自分がちゃんと信じてあげること。
届くときは、
思ってもみなかったタイミングで、
思ってもみなかった相手に、
ちゃんと届くから。
あなたが
“自分らしい働き方”を諦めずに選びつづけることで、
それ自体が、
誰かにとっての“きっかけ”になっていきます。
だから、焦らなくて大丈夫。
そのままの歩み方で、
ちゃんと意味があると私は思います。
🟩“なんとなくの得意”が、“わたしの仕事”に変わったきっかけ
「得意なことはあるけど、
それって仕事になるのかな?」
そんなふうに思ったこと、ありませんか?
私は、あります。
というか、ずっとそう思っていました。
「得意なこと」と「仕事にできること」は、別もののような気がしていた。
たとえば、私は昔から
“人の話を聞く”ことがわりと好きでした。
でも、いわゆる「傾聴力がある」ことを
売りにしてきたわけではないし、
専業のコーチとして
長く活動してきたわけでもありません。
ただ、誰かの話を聞いていると、
つい
「それってつまりこういうことかな?」と、
バラバラになっていた言葉を
自然と整理して返す傾向があったんです。
それはあまりに日常的すぎて、
ずっと“ただの性格”だと思っていました。
でもあるとき、
そんな「なんとなくやってきたこと」が、
誰かの役に立っていたと
気づいた瞬間がありました。
「なるほど、それ…自分では気づかなかった」——そんな反応が、はじまりだった。
ある知人から、
自分の事業について相談を受けたときのことです。
「強みがいまいち言語化できなくて…
どうやって打ち出せばいいのかな?」
と悩んでいたその人に対して、
私は自然とこう返していました。
「それって、他では得られない“きめ細やかさ”だと思うよ。
それをHPで、もっと具体的に表現してみたら、ちゃんと届くと思う」
そう伝えたら、
相手はハッとしたような顔で言ってくれたんです。
「なるほど、それ…自分では気づかなかった」
そのあとも、いくつかの相談に乗るうちに、
こんな言葉が重なるようになりました。
- 「話しているうちに、考えがまとまってきました」
- 「なんか、話してると頭が整理されるんですよね」
- 「また、お願いしてもいいですか?」
最初は驚きました。
だって私は、“教えた”わけじゃないんです。
ただ、「聞いて、整理して、返した」だけ。
でも、その“自分にとって自然だった関わり方”が、
相手にとっては価値あるプロセスになっていた。
「得意なこと」は、スキルじゃなくても“仕事の種”になる。
ここでようやく私は、
「これは仕事として成り立つかもしれない」と、
静かに腑に落ちるような感覚を得ました。
しかもそれは、
マーケティングの経験や、
自己探求の中で学んできた
ニューコードNLPの知識とも、
不思議なくらい自然に重なっていったんです。
無意識にやっていた傾向や感覚が、
これまでのキャリアと結びついて、
「自分らしい仕事のかたち」が、
ようやく浮かび上がってきた感じがしました。
“わたしの仕事”は、すでに日常の中にあった。
あとから振り返って思うのは、
「なにか特別なスキルを身につけてから」ではなく、
“ずっとやってきたことを見直したとき”に、
仕事のヒントが眠っていたということ。
誰かの役に立つことって、
必ずしも目新しいことや、
人よりすごいことじゃないのかもしれません。
もし今、
「得意なことはあるけど、これって仕事になるのかな?」
と迷っていたとしたら——
それは、あなたの“日常”を少し違う角度で見直してみる
チャンスなのかもしれません。
すでにやっていること、
無意識でやってしまう癖、
「そんなの誰でもできるよ」
と思っていたことの中に、
“自分らしい仕事の種”が眠っている可能性は、
大いにあります。
だから、焦らなくて大丈夫。
あなたの“なんとなく”にも、
きっと意味がある。
私がそうだったように。
必要なら、
この「関わり方をどう活かすか」というテーマで、
誰かと一緒に整理する時間を持つことも
よい選択肢になるでしょう。
でも、まずは“もうすでに持っているもの”に、
自分でそっと目を向けてみる。
そんなところからでも、
十分に始められるんだと思います。
🟩問い、散歩、ノート——“軸を整える”日々のルーティン
「自分の軸って、どうやって見つけたらいいんだろう?」
何かを始めようとするたびに、
そんな問いが浮かんでは消えていませんか?
でも、はじめから“明確な軸”がある人なんて、
そう多くはありません。
少なくとも私は、ありませんでした。
むしろ、自分の軸って、
“探す”というより“育てるもの”に近い
のかもしれません。
そしてそれは、
日々のちょっとした行動の中に、
ちゃんと育っていくんだと、
今では思っています。
「問い」が、自分の思考を深く耕してくれる
私が意識していたのは、
「問いの質が、その後の人生の質に直結する」
という考え方です。
たとえば、
当時自分に投げかけていたのはこんな問い。
「これまで培ってきた経験を、
“自分の心が喜ぶ形”で活かすとしたら、
どんなやり方があるだろう?」
これには、お金や安心、楽しさも全部含めた
“心の納得感”を探す意図がありました。
もちろん、すぐに答えが出たわけではありません。
でも、この問いに向き合うたびに、
少しずつ輪郭が見えてきたように思います。
書くことで、気づいていなかった“内側の声”が出てくる
そして、
もうひとつ続けていたのがジャーナリング
(日記のような思考の整理)です。
朝の時間に、
ふとした気づきや考えたことを、
ざっくりでもいいのでノートに書き出す。
それをただ“残しておく”だけ。
評価しない、分析しない。
とにかく、
今の自分をそのまま写すようにしていました。
そうして積み重ねたノートを後から見返してみると、
「あれ、私って、ずっと同じことを考えてたんだな」とか、
「この感覚、ずっと前から大事にしてたんだな」
というような、静かな発見がいくつもありました。
散歩と本が、“自分のリズム”を取り戻させてくれる
そしてもうひとつ。
朝の散歩は、
私にとってとても大きなルーティンでした。
頭が一番クリアな時間帯に、
太陽の光や風、鳥の声に触れながら、
ただ歩く。
何かを考えようとしなくても、
不思議と心が整っていくような
感覚がありました。
それに加えて、
自分の“内面”とじっくり向き合ってきた人の本
を読むことも、心のペースを整えてくれました。
たとえば、
インドの哲学者・ラマナ・マハルシの本や、
1970年代に根室の原野に移住した
高田勝さんのエッセイなど。
“すごい人”の成功本ではなく、
“暮らしと言葉が一致している人の記録”が、
私にはとても沁みました。
軸は、“特別な場面”じゃなく、“静かな繰り返し”の中で育っていく
何かを派手に変えたり、
劇的な答えを見つけるよりも、
「問い、散歩、ノート」という
地味なサイクルの中で、
少しずつ「これが私の軸かもしれない」
という感覚が育っていったように思います。
だからもし、あなたが今 、
「自分軸がわからない」
「どうやって育てていくの?」
と立ち止まっているとしたら。
まずは、
“整えるための小さな時間”を、
自分に許してあげてください。
それは、すでに軸づくりが始まっている証拠だから。
このパートが、あなたの
“自分に戻る時間”のヒントになれば幸いです。
🟩サービスを話してみたら、“それっぽい自分”が始まり出した日
「こういうサービスを考えていて……」
ある日、思いきって、そう口にしてみました。
自分の中では、ずっと考えてきたこと。
でも、いざ“誰かに伝える”となると、
ものすごく緊張して。
「ちゃんと伝わるかな?」
「ただの思いつきに聞こえたらどうしよう」
「よくある話って思われるかも…」
心の中では、
そんな声がぐるぐるしていました。
でも、話し終えたあとに返ってきたのは、
思っていたのとはまったく違う言葉でした。
でも、話し終えると、
相手は少し黙ってから、こう言ったんです。
「それ、私にちょっと必要かも。お願いできるかな?」
驚きました。
ただ“いま考えていること”を話しただけだったのに、
それが“仕事としての第一歩”に変わった瞬間でした。
それから少しずつ、
「それ、お願いできる?」
という声が届くようになりました。
知人の紹介、時折もらえる感想のメッセージ——
どれも、丁寧に話してきた“小さな種”が、
そっと芽吹いたような感覚でした。
特別に用意したわけじゃない。
盛ったわけでも、
完璧な企画書があったわけでもない。
ただ、
「いま考えていること」を、
そのままの言葉で話しただけ。
でも——
“ちゃんと伝わる”って、こういうことかもしれない。
そう思えた出来事でした。
最初の依頼は、以前お世話になった方から。
紹介でつながることもありました。
SNSで発信していたわけでもなく、
広告を打ったわけでもない。
ただ、「自分が大切にしていること」を、
自分の言葉で伝えただけなんです。
話すことで整理されて、
言葉にすることで輪郭が見えてきて、
誰かに届いたとき、
それが“サービス”になる瞬間がある。
それは、売り込むでも、構えるでもなくて、
“そのままの自分”の延長線にある働き方でした。
もし今あなたが、
- 自分らしい働き方をしてみたいけど、どう始めればいいのかわからない
- サービスの形がまだ整っていない
- 話してみたいけど、うまく伝えられるか不安
そんなふうに感じていたとしても、大丈夫です。
まずは、誰かと話してみることから。
伝えようとして出てきた言葉の中に、
もうあなたの“軸”があるかもしれません。
そしてもし、
「この感覚、ちょっと似てるかも」と感じてくれたなら——
あなたのタイミングで構いません。
気になったときに、
メッセージをもらえたら嬉しいです。
一緒に、“あなただけの始まり方”を
探していけるかもしれません。
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